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ワインと私

私は20代終わりから40代に差し掛かるまでの12年間をイタリアで過ごしました。
ワインというものを自分の身近な存在にできたのは、その12年間で出会った田舎の人たちのおかげです。

養豚をしてサラミを作る名人、エスプレッソコーヒーを飲みに来ないと怒られる近所のお爺さん、いつも笑顔で謙虚なその人の奥さん、料理上手で自宅の地下室で近所の人が作ったワインからワインビネガーを作るおばさん、自分のぶどう畑でワインを作るちょっと臭いワインを作るお爺さん、フルーティな自家製ワインを作るワイン作り名人のお爺さん、ケーキ作りを教えてくれる元パティシエのお爺さん・・

日本では得ることのできない経験の数々。

当たり前のように言えますが、日本でワインを作ろうと0から畑を作る今、ふと疑問に思います。

イタリアのぶどう畑

日本には「産地」がない、そして、ぶどうもワインも身近な存在ではなく、「特別」なものなのです。

当たり前ですが・・

目次

産地とは?

トスカーナのモンテプルチャーノにはモンテプルチャーノならではの特徴がある。そこから車で車で30分ほどのモンタルチーノには全く違う特徴がある。このように、地方ごとに特徴が大きく変わるのがイタリアのワイン。

地方の違いもあれば、生産者による違いもかなり大きい。

産地は歴史と言い換えることもできます。歴史とは、その土地の農民が、長い年月をかけてその土地の気候に合う品種、合う栽培方法、収穫のタイミング、醸造方法を編み出していく、長い時間をかけた経験の蓄積です。

そして人の思想の集約したものがワインの特徴の違いです。

「若い頃は美味しいワインを作っていて金賞を取ったんだ」というおじいさんは今では、あまり細かな仕事ができず、硫化硫黄の匂いが若干する「ちょっとくさい」ワインを作っていたりしますが、それも一興です。

同じ地方のローカル品種なのに、作る人によって「なんだかスパイシー」なワインになったり、「フルーティでうっとりする」ワインになったりします。

産地というものを語る前に、こうした多種多様な個性のあるワインとの付き合い方がもう面白くて仕方がないんです。ワインは人を写す鏡であるような、笑いや感動や疑念や驚き、色々な感情を味わわせてくれます。

そしてワインづくりの名人がいて、サラミの名人がいて、ラザーニャの名人がいて、サラミの熟成に適した条件の地下室を持つ家があり、ワインビネガーが美味しくなる地下室の家もあり、村人たちは情報交換してビネガーを作るために近所の人の地下室の一角を使わせてもらったり、サラミを分け合ったりしています。

名人の教えさえ広まれば、村のワインづくりのレベルや味わう舌のレベルが上がります。名人ぶっている老人が、頼んでもいないのに、プロからするとめちゃくちゃな栽培法を教えてくることもあり得ます。

好きだ、嫌いだ、色々言い合うわけです。「その賑やかさとカオス」にこそ、産地の土台というものがあるように思います。プロの仕事の何が違うのか、優れているのか、2流、3流のアマチュアリーグのレベルが高ければ、1部リーグとの違いもよくわかります。

1流を知れば2流がわかるというトップダウン的な考えを持つ人は多くいますが、イタリアのマンマたちが中心になって作り上げたグルメ文化においては、ボトムアップによって1流が成り立っているように思います。

ちょうど、ユースチームからたまに生え抜きの1流の選手が生まれるように。

時間を買う

今は、化学的に失敗しないワインづくりが確立されているので、経験の蓄積がなくても、ワインは作れます。

安全基準やマニュアルに沿って農薬・肥料を散布し、酸度、糖度を測定し、一定の基準に達したら収穫し、亜硫酸塩で雑菌の繁殖を抑え、安定したパフォーマンスを発揮する乾燥酵母を使い、温度調整できるタンクで発酵させ、おり引きをする。熟成用の内側をローストしてある木樽で熟成して、亜硫酸塩の有効成分の測定をし、瓶詰め時に添加する亜硫酸塩の量を調整し、場合によっては火入れをするといった感じです。

ワイン醸造法は確立しており、手順を踏めば悪いワインになることはあまりありません。日本ではぶどうの当分が足りなければ補糖も可能です。

しかし、歴史と経験の蓄積をはしょったワインは、私は心の底から好きだとは思っていません。

時間を買うことは可能です。だからといって、日本でもあの品種の味わいを再現しよう、近づけよう、というベクトルでワインを作ろうとは思いません。

私の祖父が私が生まれた頃に柿を植え、栽培していた農夫だったことからきている考えかもしれません。

(ちなみにKANOHAという名前は、柿の葉が積み重なり、土を豊かにしてくれた、という祖父へのオマージュから来ています)

それは、イタリアにいて、イタリア人たちは当たり前のように持っていた考え方でした。

イタリアの農夫の教え

2000年以上のワインの歴史を持ち、ワイン用の品種だけで545品種が公式に登録されている国であり、地方によって栽培される品種も、ワインの味わいも違います。エレガントなワインだけじゃなく、どぎつい特徴を持つ個性派ワインもあります。

オリーブだって、パスタやパン用の麦だって、品種も味わいも千差万別です。伝統品種の小麦は、品種ごとにほんとに味も香りも違います。でも今は、特徴のない麦でできたクッキーに香料で香りをつけるから、違いなんてあまりありません。

オリーブでもフルーティなオイルのできるレッチーノ種、辛めのオイルができるムライオーロ種は日本のホームセンターでも苗木が売っていたりしますが、その特徴をわかって買う人はほとんどいないでしょう。

品種を選び、先祖代々繋いできたのは、先人たちです。実際にすごく美味しいけれど、ただ美味しいだけではない。オリーブの搾り方、使い方、組み合わせ方、麦の挽き方、こね方、乾燥の温度と時間、茹でる加減。ありとあらゆる経験が集約した美味しさ、それを当たり前のように若い人も受け継いでいる。

18歳のイタリア人青年との対話

モンタルチーノで長年ワイン販売店を営む家族の18歳の息子が店番をしていて、ちょうどその時に、色々と試飲をさせてもらいました。

彼は、家族や親戚、近所の大人たちからワインに関する話を聞いて育ったそうです。

いろいろな生産者のストーリーや味わいの違いを、未成年が生き生きと語っている。ワインはまだわからないけど、大人たちが語ってくれたストーリーは山ほど聞いてきたし、好きなんだ、と言います。

この地方には、ワインガイドブックやモンタルチーノのワインについてまとめた本は存在しないそうです。なぜなら、全ては、人と人の間でテーブルを囲んだ会話を通じて広まるからであり、本に書くのは生きた情報ではないからだそうです(唯一ドイツ人が書いたものだけは存在する)。未成年の言葉に圧倒される私。

そして、彼はワインボトルを美術品のように丁寧に扱う。生きているものであり、繊細なものだとわかりきっている。未成年なのに。ワインをまだ飲めないのに。

そうこうするうちに、お父さんが登場、特別なワインを飲ませてくれました。

そうこうするうちに、杖をついた彼のおじいさんが登場。そのワインを買おうかなと思い、陳列してあるボトルに触れようとした瞬間・・怒られました・・。貴重なワイン英才教育の一端を見たのです。

18歳の彼と話す中で、モンタルチーノの伝統の代名詞と言えるワイナリー「ビオンディ・サンティ」の株式の大半がフランス資本によって買われた話になりました。

それは、この地方に生まれた僕たちにとって胸にナイフを刺されたようなものなんだ、とトスカーナのアクセントで悲哀をたっぷりと込めて語ってくれました。恐れ入りました。本気で、この地方の人たちはワインを愛し、それを子供達に語っている。歴史や伝統だけでなく、愛する人の数、その熱量のどれをとっても負けていると感じました。

私が目指すワインとは

イタリアワインやフランスワイン、最近よく目にするようになったアルゼンチンや南アフリカのワインのような、誰もが納得するお手本のようなワインの美味しさでなくていい。

最高の味わいを目指して何年もの思想と仕事を重ねること。その土地にあった品種と栽培方法、醸造方法を探し続けること。ワインづくりは、思想と試行の連続です。今始めなかったら、永遠に「産地」は生まれません。

ワインは、思想家たる手段。自然をより深く知るための手段。自然と人、人と人をつなぐもの。人生の時間を彩り、あるいは記憶を蘇らせる味わいがワインにもあると思います。

どんなに地味でも、当たり前でも、少し変わっていても、その土地の特徴を愛して信じること、人と交流を惜しまず、堂々とその特徴を伝えること。恥をかいても、評価されても、価値は変わらず、思想と仕事の蓄積は続いていく。

思考を続ける限り、失敗というものは存在しない。

真似はしない。評価を取りにいかない。他人のものを借りて自分を飾り見栄を張るくらいなら、地味に堂々と生きる。

いつしか、それが形となり、何代も誰かが受け継いでいったときに、初めて「産地」と言えるものが生まれた、と言えるのかもしれません。

こうした、ものづくりの根幹となった考えは、イタリアにありました。そしてそれは、元々自分が心の奥にいつの間にか押し込めていた感覚でもありました。その感覚が彼らとの対話を通して形となり、こうしてお伝えしています。

具体的な仕事はブログにて。

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